昨年少し話題になった言葉に「G型大学」「L型大学」というものがあります。
これは、文部科学省有識者会議で経営コンサルタントの経営共創基盤CEO冨山和彦氏が提唱した考え方です。
簡単に言うと経済を「グローバル(G)」「ローカル(L)」の2つに分けて、それぞれの経済圏で活躍できる人材を育てる大学と言う意味です。
議論になったのが、以下のように、L型大学では教える内容を「実学」にするということです。
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文学部・英文学部
シェークスピアではなく
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観光業で必要となる英語、地元の歴史・文化の名所説明力 -
経済・経営学部
マイケルポーター、戦略論ではなく
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簿記・会計、弥生会計ソフトの 使い方 -
法学部
憲法、刑法ではなく
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道路交通法、大型第二種免許・大型特殊第二種免許の取得 -
工学部
機械力学、流体力学
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TOYOTAで使われている最新鋭の工作機械の使い方
実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議(第1回)配付資料
から引用 文部科学省サイトヘ
まるで、大学ではなく職業訓練校だという批判があります。
確かに、一部の大学では学生に役に立たない講義をし、何を勉強したのか分からないような学士が生み出されているのも事実です。
こういった問題意識から、G型大学、L型大学という考え方がでてきたのであろうと思われます。
ローカル企業である地方の中小企業では人を育てている余裕がないので、L型大学があれば、すぐに実戦で活躍できる人材を供給できるメリットがあります。
しかし、私はこの極端なやり方には反対です。
なぜなら、勉強や技術の習得は働きながらでもできるし、G型大学、L型大学に分けても、問題の解決にはならないためです。
今の教育制度が、実社会が求める人材を供給できていないのは、「教える内容が間違っている」ためではなく、「”学ぶ”考え方を教えていない」ためではないでしょうか?
「学ぶ」ことを「テストで良い点を取る」と認識してしまうような、今の教育の仕組みに問題があるのです。
学ぶこととは?
「学ぶ」というのは、「今の状況をより良くするための方法を身につける」ことです。
私たちは、生まれたときから常に学習しています。
例えば、「話す」ということであっても
自分の言いたいことを話す
↓
相手の表情を読み取る
↓
相手に伝わるように話す
このような学習段階を経て、もっと上手に話すようになります。
もし、自分が話している最中に相手を怒ったのであれば
「なぜ怒ったのか?」
「次はどのように話せばよいのか?」
を反省して、次からは問題点を直して話せばよいだけです。
これが「学ぶ」ということです。
学校でのテストを例にとると
「なぜ間違ったのか?」
「なぜ、自分はこの問題が分からないのか?」
「この問題を解くためにはどのような知識が必要なのか?」
を考えることが「学ぶ」ことです。
言い換えると、疑問や問題点を認識して、それを解決したり改善するための手段を考え実行するということです。
学校では、何も言わなくて先生が教えてくれます
そのため、「学ぶ」ことは「教えてもらう」ことだと認識している人は多いです。
しかし、「学ぶ」ことの基本は、自分で考えることです。
学校では「学ぶ」ことを教えていない?
学校を卒業したばかりの新入社員が新しい職場で、誰も教えてくれないという理由ですぐに辞めてしまうということがあります。
この例では教育体制に不備がある企業側に原因があると考えられていますが、学校側にも原因はあります。
こういう場面であれば、新入社員であっても「なぜ教えてくれないのか?」「どうしたら教えてくれるようになるのか?」を考えて、改善策を実行してみなければいけません。
(単に先輩社員が忙しくて、教えている暇がないだけかもしれません。暇そうなタイミングを見計らって、「分からないから教えて欲しい」とお願いしてみるだけで解決する話だったりします)
実学を知らなくても、仕事をしながらいくらでも「学べ」ます。
「学ぶ」考え方を学校では教えていない、または身につけた学生が少ないから、実社会のニーズとズレているのです。
もちろん、実学を身につけることは重要ですが、「教えられた実学」では、社会の変化により、いずれ限界がきます。
企業は、労働者が欲しいというより、今の状況をより良くすることができる人材が欲しいのです。
学生時代、テストで良い点を取っていれば、「よく学んでいる」と教えられましたが、実社会は全く違いました。
グローバル化、G型大学、L型大学うんぬんと言う前に、社会の変化に対応していくための「学ぶ」考え方を教えるのが先ではないのでしょうか?